鬼門とは、裏鬼門とは
- 風水の間取りで、鬼門と裏鬼門の方位はどのように対処するべきか。
住宅の新築の際には、日頃あまり風水に関心のない人でも、
これは気になります。
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鬼門の意味・起源と方角
- 「鬼門」とは、
家屋の中心から45度の角度で広がる北東方向を「鬼門」といい
南西方向を「裏鬼門」といいます。
- 日本では風水家相の方角の中でも、流派に関わらず
この鬼門と裏鬼門を重要視します。
何故でしょう・・。
平安時代から長きに渡り日本の中枢で政を司った藤原氏興隆の歴史と
風水家相が根付いていく歴史は深い関わりがあります。
鬼門の意味はその起源に基いています。
鬼門とは
- 日常生活で家相と風水は会話の中に出てくることはまずありませんが「鬼門」という言葉はよく耳にします。
- 鬼門とは、文字だけ見れば鬼の門、鬼の出入りする門、というイメージです。
- 家相は、中国の陰陽五行説から生まれ日本に伝わり日本の陰陽道の中で家相学として発展をとげました。
- 何故北東方位が鬼門なのか。調べてみれば諸説有りますが、一番有力な説が匈奴説でしょう。
- 匈奴とは紀元前3〜5世紀のころ今のモンゴル高原の地域で栄えた騎馬民族です。
- この民族は騎馬戦術にすぐれ、
とにかく強い強い。とても当時の
中国人の敵では無かったのです。
- 時の中国皇帝であった秦の始皇帝はこの民族をとても恐れ
鬼門方位に万里の長城の建設にとりかかったほどです。
- この民族が北東(鬼門)の方角から強弓を駆使して
騎馬で疾風のごとく攻めてきたのです。
- それは鬼と恐れる意味も解ります。日本の家相と風水でも
この北東の鬼門方角は忌み嫌います。
鬼門の日本伝来
- 奈良時代に時の朝廷が吉凶を判断する際に用いられ始めた風水とは、
時の朝廷を起点として北東と南西に細長く伸びる日本列島の形状と、
中国から伝来した鬼門の戒めの意味と合致し、重用され始めました。
- 風水について詳しくは「風水とは」のページを参照ください。
- 平城京に遷都(710)する際に、摂関家の総帥である藤原不比等は
元明天皇の下命を拝し、都造りの指針として風水家相を取り入れ、
四禽による四神相応の適地に建都しました。
- しかしこの時はまだ中国元来の四神相応であり、
その後に平安京建都(794)の際の「山川道澤」を取り入れた
四神相応とは多少違っています。
- 日本では何故「鬼門、裏鬼門」が風水の中でも特に重きを置かれるのか。
それは大和朝廷が起こって700年間の列島制圧の歴史、戦いの歴史が
まさに北東(鬼門)の夷狄と南西(裏鬼門)の夷狄を
熊襲や土蜘蛛と称して恐れ戦った過去の歴史が、
鬼門の思想とマッチしたからだといえます。
- 「日本書紀」編纂を指揮した藤原不比等は、
律令制確立に奔走する藤原摂関家興隆の歴史と大和朝廷神格化に至る
日本国統一の変遷とを纏め上げる中で、まさに北東方角と南西方角との
戦いにつぐ戦いの歴史であったとの思いを強め、
これを風水の「鬼門」の意味と重ね合わせたに違いないと思われます。
鬼門重用と藤原氏の謎とは
- 私は約30年「風水、家相、鬼門」と関わって来ましたが
その経験と、家相の古書だけではなく古代史や歴史書を
調べ研究し当事務所独自の見解として風水伝来や
鬼門の重用の全容を下記にまとめました。
- 風水は鬼門を重要視した形で何故奈良時代から平安時代に
朝廷を中心に日本の地にどのように広まっていったのか。
- 風水が日本に根付いていく過程と、藤原氏興隆の歴史は
ピタリと重なります。
- 風水、鬼門は飛鳥時代に中国から「新羅、百済」を介して
仏教と供に日本に伝来しましたが盛んになったのは
奈良時代からです。
- 日本で最初に風水思想で建立された建造物は福岡県の大宰府です。
これは天智2年(663)に建てられました。大化の改新(645)から18年後の事です。
- 通説では日本最初の風水都市は平城京とされますが
実は大宰府です。
- 太宰府(663)から藤原京(694)次に平城京(710)
の順だというのが私の見解です。
- 太宰府造営を指揮したのは勿論、藤原(中臣)鎌足。
その根拠は下記に述べていきます。
- 鎌足は669年に亡くなりますがその意志は子孫に引き継がれます。
- 余談ですが太宰府(都府楼跡)は風水パワースポットとして
全国的に有名です。
私も近在しているので祐気取りでよく行くスポットです。
- この時代から藤原氏の全盛となります。
藤原不比等の父親である藤原鎌足(中臣鎌足)は
大化の改新の立役者である事は皆さんご承知の通り。
- 鎌足から不比等へと続く系譜の中で風水は
鬼門を重用した日本独自の形態で盛んになります。
藤原氏興隆と鬼門
- では何故藤原氏は風水、そして鬼門を重用したのか。
鎌足の出生の謎と関係があります。
- 日本書紀等の日本最古の
歴史書をみても中臣鎌足の出自が判然としません。
- まさに忽然と歴史の中に登場します。
鎌足は中大兄皇子と図って蘇我氏滅亡に追い込み
大化の改新を成し遂げます。
- この中臣鎌足は百済の皇子「豊璋」であるとする説が
歴史家の関裕二氏を中心に唱えられています。
- 百済の人質としてやってきた豊璋と中臣鎌足の経歴は
百済の古書や日本書紀等の歴史書と符号がピタリと一致します。
- 謎とされていた歴史の空白も謎も鎌足が「豊璋」だとすれば
納得が行くことばかりです。
- 風水、鬼門も又、鎌足が百済の皇子「豊璋」だとすれば納得がいきます。
- 藤原氏は鎌倉時代以降は五摂家に別れましたが長きに渡って日本国の中枢で
政に関わリました。
- この藤原氏の始祖である中臣鎌足が百済の皇子であったなら、
史学で説かれる「仏教や風水は中国から新羅、百済を介して日本に渡って来た」
という史実の、百済を介して日本に伝えたのは、まさに風水を熟知した百済の皇子「豊璋」である中臣鎌足、その人だという事です。
- そして日本国天皇家成立の歴史を神へと繋げる万世一系の系譜を綴った
「日本書紀」の編纂を任された鎌足の子の不比等は、
その歴史書を纏める中で東北(鬼門)や南西(裏鬼門)の
夷狄と朝廷の戦いの歴史を、風水の「鬼門裏鬼門」と重ねあわせ
この鬼門方位を重視した風水思想を朝廷を中心に喧伝していったのです。
- 他の国に比べて、何故日本だけが風水の中でも
特に「鬼門、裏鬼門」を重用するのかの意味がこれで解ける筈です。
- 以上は推論も含めて私の独自の見解を、「風水、鬼門」史観 として簡潔に述べました。
機会があればもう少し詳しく解説したいと思います。
鬼門の調べ方(方位の風水家相学的間取り計画 )
◆北東方位の用途は鬼門に掛かります
- 鬼門の方角は建築工学的にも厄介な場所です。冬は終日明るさを臨めません。換気を心掛けないと壁や床天井が結露し、かびが生えやすい場所です。間取り計画の際に結局はこの厄介な場所にトイレや浴室を配置する事になりがちです。
- しかしトイレを鬼門に間取りした場合、通常排便時は思った以上に体力を使いますが、心臓や脳への負担が大きく北東の寒いスペースでは非常に危険です。又風呂は生活の中で唯一裸で行動する場所です。本来は暖かい方位の間取りが必要な筈です。
- この方角は何の用途を間取りするにしても慎重に風水家相学的及び建築工学的な考察に基づき設計しなければいけません。
- この北東(鬼門)方位は水回りを避けて吉相の用途を配置して下さい。鬼門にも勿論、吉相用途はあります。
- 吉相用途としては「書斎」「応接室」が適当でしょう。又、「男子の勉強部屋」も結構です。心が安定し勉強が捗ります。ただしこの方位を走る四隅線上に机を配置する事は避けて下さい。
裏鬼門の調べ方(方位の風水家相学的間取り計画)
◆南西方位の用途は裏鬼門に掛かります
- 陰陽五行説では世界を陰と陽の二元論で説きます。
それにより北東の鬼門に対して南西を裏鬼門とします。
- この南西方位は建築学的には鬼門の北東ほど厄介ではありません。ただ夏場など昼からの西日の為、物が腐敗しやすくトイレや水回りの間取りは凶とされています。よほど注意して常に清潔を心掛けることです。
- この南西方位は全てが凶相というわけではありません。
鬼門と同様に吉相の用途もあります。
- ここに配置する吉相用途は「主婦寝室」「高齢者部屋」「家事室」「リビングの延長としての和室」等を割りつければ吉相顕現となります。ただし「主婦寝室」「高齢者部屋」とする場合はこの方位を走る四隅線上に寝具を配置することは避けて下さい。特に枕を割りつけてはいけません。注意する事。
- 「リビングの延長としての和室」を割り付ける場合は仏間を配置することも結構でしょう。仏間配置の場合に注意する点は、不浄壁に接しない事、南向き配置で北向き礼拝とするか、もしくは東向き配置で西向き礼拝として下さい。又、上下階の用途にも注意する事。
鬼門、裏鬼門に三備を設けず
- 鬼門方位(北東45度範囲)と裏鬼門方位(南西45度範囲)には
部屋の用途の中でも【三備】と言われる用途を避ける事が重要です。
- 家屋に於ける三備とは厠(トイレ)、竈(台所)、玄関を指します。
- 鬼門、裏鬼門に三備がかかれば凶意が強く顕現し、家相の凶相の中でも最も避けなければなりません。
- 更にこの方位の中心を走る四隅線がかかれば大凶の最たるもので風水、家相学的に家相補強してもその効果は薄く必ず避けてください。
- 住宅を設計する場合は企画段階からの吉凶の象意精査を熟考しその方位に合った用途を配置して間取りを割り付けていく事が肝要です。特に鬼門方位の北東の45度範囲と裏鬼門方位の南西の45度を象意に照らして用途割する事を第一に考えて間取りを決定して下さい。
神棚・仏壇の方角
- 神棚や仏壇安置の吉方位は原則的に鬼門、裏鬼門、正中線、四隅線を避けていれば風水家相学的にはどの方位でも構いません。仏教の西方浄土の思想に基づき方位よりも家屋内の用途割の、どの用途に置くか、そして仏壇の向きが重要です。
基本的には東向き配置で西向き礼拝か南向き配置で北向き礼拝が適当です。
詳しくは仏壇の向き、神棚の祭祀のページを参照ください。
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当事務所の診断は、用途別 「 百分率算出吉凶分析法 」 での家相診断です。一般の家相占いとは全く違い、間取りの用途別に吉凶を分析して24方位の専有割合を算出した数値を記載し精緻に診断します。その診断を報告書に詳細に纏め、家相診断報告書を作成します。マンションや一戸建て物件購入時の判断材料や、リフォーム計画時の資料として、当事務所の家相診断報告書をお役立て下さい。
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